Amazon-ランニング・ジョギング
こんにちは。
今朝も奈良はよく冷えました。
この記事を書いている今はまだ早朝ですが、2℃台まで下がっているようです。
初めての「肉離れ」
さて、今日はこれまでのランニング生活で一番つらかったできごと、そして記憶に残っているできごとでもある「肉離れ」についてお話したいと思います。
それは、すでにランニングを始めてそこそこの年数が経ち、フルマラソンでもコンスタントに4時間前後の記録を出せるくらいになっていた頃でした。
秋のある日曜日、いつものように準備体操をし、いつものコースをいつも通り走っていた時でした。
突然、右ふくらはぎに「ピリッ」と電気が走るような痛みを感じました。
初めての痛みと違和感に、とりあえず立ち止まり、様子を見ました。
でもまあ、足であろうと腰であろうと、走っていて突然痛みを感じることはこれまでにも何度かありましたし、もう何年も走っているんだからどうってことないだろうと、再度走り始めました。
ところが、まったく痛みが治まらず、逆に我慢できるようなレベルではなくなってきたのです。

jarmoluk / Pixabay
その時初めて、「これはやばい」と感じました。
でも、足がどうなったのかはその時点ではわかりませんでしたし、「肉離れ」だとも思いませんでした。
なんせ、走っている最中の足のケガは初めてのことで、自分でその症状を判断する知識も経験もなかったものですから。
しかたなく、足を引きずりながら歩いて帰宅しました。
帰るとすぐ、いつも通りシャワーを浴び、着替えてからベッドに寝ころび、ネットでランニング中の足のケガについて調べてみました。(実は、後で書きますが、この時、先にやっておくべきことがあったのですが。)
いろいろ調べてみると、どうやら症状などから、「肉離れ」だなと確信しました。
人生で初めてのことです。
私は、ケガのレベル、処置・治療方法、治癒するまでの期間など、片っ端から肉離れに関する情報を集めました。
その結果、「軽度」「中度」「重度」の3つとされている肉離れのレベルのうち、重くて「中度」、軽くて「軽度」くらいだなと思いました。
つま先立ちなど全く論外、ふくらはぎの筋肉が伸びても縮んでも強い痛みが走りました。
「これは長引くなあ」と覚悟を決めましたが、同時に、約2か月後に迫っていた「奈良マラソン」に間に合うかどうか、それが心配でした。
肉離れの応急処置は「RICE」
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翌日、私は近くの外科医を受診し、予想通り「肉離れ」と診断されました。
かといって、何か特別な処置をしてもらったわけでもなく、たしか「湿布」と包帯、テーピング用のテープをもらって帰っただけのように記憶しています。
さて、先ほど、「先にやっておくべきことがあった」と書きました。
そうです、「肉離れ」を発症した時は、応急処置としてぜひともやっておくべきことがあったのです。
それは「RICE(ライス)」と呼ばれている応急処置のことです。

Alexas_Fotos / Pixabay
すなわち、R(Rest)=安静にする、I(Icing)=患部を氷などで冷やす、C(Compression)=包帯・テーピングなどで患部を圧迫する、E(Elevation)=患部を上げておくということです。
私は、あとからこの処置のことを知ったので、先ほど書いた通り、ケガをして帰宅した後も、そのまま何の応急処置もせず、普通に“熱い”シャワーを浴びてしまいました。
上記のような適切な応急処置(RICE)に照らすなら、まずは帰ってすぐに患部を冷やすべきだったと思います。
あるいは、もし可能なら、帰宅するまでに、すぐに近くのコンビニなどで氷か水でも購入し、患部を冷やすべきだったのでしょう。
完治までのつらい日々
さて、その日から始まったつらい日々。
足首を曲げても体重をかけても痛むふくらはぎと毎日戦いながら、不便な日常生活を、そして走ることのできないストレスとともに過ごしました。
それでも、湿布を貼ったりテーピングをしたりしながら、できるだけ患部に負担を掛けないように過ごしていると、日を追うごとに少しずつ症状が良くなってきました。
歩くのもだんだん楽になり、やがて軽い運動・ストレッチができるようになりました。
一方で、一日一日と「奈良マラソン」の日が近づいてきて、間に合うのか、走れるのか、あるいは出るべきかどうかと悩む日が続きました。
そして「奈良マラソン」の2週間前。
私はようやくランニングを再開しました。
もちろん、最初は本当に恐る恐る、慎重に、ゆっくりと、右ふくらはぎに負担が掛からないように走りました。
そして、少しずつ様子を見ながら負荷を上げましたが、本当に軽い練習で済ませました。
そして翌週の日曜日。
私にとっては本番前の最後の練習です。
この時にはほぼ痛みはなくなっていましたが、本番前にまた再発させてはいけないという不安が強く、思い切って走るのには躊躇しました。
この時も、結局は軽めの練習で済ませました。
ケガからようやく復帰したばかり、しかもこれだけ練習が不足した状態でマラソンを走るのには強い不安がありましたが、奈良マラソンに出る決心はすでについていました。
「奈良マラソン」で復帰
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そして迎えた本番。
いつもの大会と同じように、着替えや腹ごしらえを済ませ、スタートエリアに入りました。
刻一刻と迫るスタートの時間。
私は、ケガをしてからの日々を思い出していました。
ひょっとしたら、今日、このスタートラインには立てていなかったかもしれない。
それが今、こうして元気にスタートラインに立てたこと。
そして、またこうして走ることができるようになったこと。
私は感謝の気持ちでいっぱいになりました。
今日は、タイムなどどうでもいい。
仮に関門でひっかかってもいい。
こうしてスタートラインに立てたことに感謝しつつ、喜びを胸に精一杯走ろうと決めていました。
やがてスタートの号砲が鳴り、私はゆっくりと走り始めました。
ケガがようやく完治した直後にこの「山登り」の難コースを走るのは怖かったのですが、まあ無理をせず、足が痛ければ歩けばいいと開き直って黙々と走り続けました。
やがて、たくさんの応援の方々に迎えられ、ゴールすることができました。
タイムは4時間20分。
当時の私にとってはワースト記録ですが、ゴールできた時の達成感と幸福感は、間違いなく過去最高のものでした。
「昨日まで当たり前にできていたことが、今日もできるとは限らない。」
この時に学んだ教訓です。
以上、私の痛~い「肉離れ」の経験でした。
【お断り:ケガの自己診断は危険です。必ず専門医の診断を受けてください。また、本文中に紹介した応急処置(RICE)については、専門家の正確な情報を入手の上実施してください】